大学受験など、学歴の世界で勝つためには「演繹」の方 (y = 2x + 1) が重要なので、一見、これが出来る「頭の良い人」に憧れを持つかもしれません。
しかし、社会に出てから重要なのは「帰納」の方 (1, 3, 5, ...) なので、「自分は頭が良くなくてテストの点数も悪いから…」と悩む必要は無い…という話です。
目次
まえがき
以下の 2 つは同じことを言っていますが、どちらの方が「分かりやすい」と思うでしょうか?
- 選択肢 A
- 選択肢 B
ガリ勉タイプのひねくれ者でもない限り、B の方が分かりやすいと感じると思います。
実は、論理学の世界では、A, B の考え方それぞれに名前が付いています。
A の考え方は演繹 (deduction)、B の考え方は帰納 (induction) です。
どちらも人が社会で成果を挙げるにあたって重要な考え方……なのですが、残念なことに学校教育は「演繹」に偏重しているため、高学歴にも関わらず社会で成果を挙げられない (=クリエイティブなことが全然できない) 人が居ます。
実際問題、学歴の世界 (=大学などを卒業して社会に出る前) では、A が出来る人の方が有利なので、創造的な仕事ができない (= B が出来ない) 人間が東大・京大卒に紛れ込んでいることも多々あるのです。
本記事では、学校教育では軽視されがちなものの、ゲーム制作やプログラミングなど「ものづくり」の世界で重要になる「帰納的思考」について掘り下げて行きます。
演繹と帰納の説明
それでは、改めて「演繹」と「帰納」の違いについて、具体例を交えつつ説明していきます。
演繹
演繹は、理論に基づく思考法で、一般論から個々の事象を導くことを指します。
例えば、このような式が示されたときに、「ああ、1 とか 3 とか 5 のことを言っているんだな」と理解する過程が、まさに演繹です。
言い換えれば、頭が良い人 (勉強ができる人) の思考方法です。
帰納
帰納は、具体例や経験に基づく思考法で、演繹とは逆に個々の事象から一般論を導くことを指します。
例えば、このような式が示されたときに、「ああ、1 から始まって 2 つずつ増えるという法則性があるんだな」と理解する過程が、まさに帰納です。
言い換えれば、人間らしい、高度かつ創造的な思考方法です。
演繹と帰納、それぞれの長所と短所
演繹と帰納は、思考の仕方 (向き) が完全に正反対ですから、その長所と短所は完全に裏返しになっています。
演繹
長所
なんといっても理論的に正確かつ厳密であることです。
y = 2x + 1 と定義し、さらに「x は 0 以上の整数」という条件も付け加えれば、絶対に 1, 3, 5, ... 以外の何物にもなり得ません。
誰にとっても公平で厳密な、法律やルールを定めるうえでは非常に重要です。
短所
一般的な規則 (数式や文書による表現) が主体であるため、抽象的で分かりづらいことです。
実際に行政文書などで顕著ですが、「具体的な事例が図表にまとめられていなくて、ルールが箇条書きでしか書かれていないので全然理解できない」という事態も起こります。
帰納
長所
実際に「具体例」が示されているので、誰にとっても分かりやすいことです。
複雑で例外が多いルールを説明する場合においても、一般的によくある事例や例外が起こりうる具体例を、分かりやすい図表をもちいながら紙面や電子データにまとめておくことで、誰にとってもやさしい記述ができます。
短所
理論的に厳密でなく、曖昧であることです。
例えば、1, 3, 5, ... と列挙したとしても、ひねくれ者であれば「5 の次は 10 だ」と言うかもしれません。
もしかしたら、いじわるな人が、1, 3, 5, 10 が書かれた 4 枚のカードのうち、10 だけを隠してしまった…という可能性だって十分あり得ます。
「演繹」だけなのもお役所的で困りものですが、「帰納」だけなのも曖昧で困りものなのです。
創造的な仕事の場では「帰納」の方が重要な理由
これまでの説明のとおり、「演繹」と「帰納」は、どちらも重要な考え方であることは示しました。
しかし、両方とも高レベルにこなせる人間は天才だけです。
実際問題として、演繹寄りの人間と、帰納寄りの人間が世の中に居ますが、社会においてはどちらの方が重要と言えるでしょうか?
ゲーム制作やプログラミングなど、「何かを産み出す」場では帰納が重要
「演繹しかできない人間」が職場に居ることを想像してみて下さい。
演繹というのは、いわば「ルールを書いたもの」だけに過ぎません。
要するに、y = 2x + 1 と書いただけでは、「それ以上のもの」は何も産まれません。
実際に、プログラマー/SE としての経験がある筆者としても、「演繹しかできない人間」に出くわしたことがあるのですが、まったく手を動かせないのです。
しかし、人事担当者の情報によると、その人は、入社試験の成績はダントツトップだったというのです。つまり、テスト問題を作って出題してあげないと何もできない人間なのです。
結局、その人は、いろいろな部署を転々としながら、どの部署でも「使いものにならない」とみなされ、会社を辞めることになってしまいました。
「帰納しかできない」人間の方がずっと使える
逆に、この世界では「帰納しかできない人間」の方がずっと使いものになります。
例えば、ゲーム作者の方であれば、Unity やツクールなどで、実際にゲームを試しに動かしてみる前のことを想像してみて下さい。
ツクールでイベントを組むにしても、Unity でスクリプトを組むにしても、実際問題として複雑なので、実行してみないと分からないということは多々あります。
やってみなければ分からないのなら、動かしてみましょう。
残念、エラーになってしまいました…
でも、実際の開発現場は、学校のテストとは違い、エラーが出ても減点される訳ではありませんから、恐れる必要はないのです。
何回試してみて、エラーになっても、トライアンドエラーを繰り返すことで「具体的に」どのような動作をするのかを確認し、最終的にゲームが動くようにすることの方が重要なのです。
「演繹しかできない」人間は、こういう状況に出くわすと、大抵、エラーになった原因をあれこれ悩んで考えまくるか、そもそもエラーが起こらないようにプログラムのコードを 1 行 1 行追いかけて手計算してバグを潰すという非効率的な行動に走ります。
結局、「いつまで経っても仕事が終わらない」のです。
「帰納しかできない」人間の意外な強み
実は、こういう状況では、「帰納しかできない人間」はかえって高いパフォーマンスを発揮します。
1, 3, 5 の次が 7 じゃない可能性だって、実際の開発現場では十分起こることです。
あれ…7 のはずなのに、どうして……
そんなこと考えている暇があったら、他の可能性を、片っ端から全部試せば良いのです。
「帰納しかできない人間」は、こういう場において、何度も繰り返し「試行錯誤」する才能に長けているので戦力になります。
おわりに
まとめると、本記事では、創造的な仕事をするうえでは、いわゆる「頭が良い」ことよりも、「試行錯誤ができる」ことの方が重要だ、ということを書きました。
(もちろん、「演繹」と「帰納」どちらも出来た方が良いことに変わりはありません)
テストで点数を取ることができ、良い大学に入学できるような人をうらやましいと思うかもしれません。
また、学歴によって社会人としてのスタートラインも変わってしまうため、「演繹」が強いことのアドバンテージが無いとは言い切れません。
しかし、ゲーム作者に関しても、プログラマーに関しても、実際に開発現場で物を言うのは、いかに試行錯誤を繰り返して、高品質な成果物を早く仕上げるかです。
単に「勉強ができるだけの人」が机上で計算しながらあれこれ悩んでいる間に、ひたすら試行錯誤して、先に正解に辿り着いてしまえば良いんです。
「自分は頭が悪いから…」と悲観するよりも、「トライアンドエラーの精神」で仕事上の成果を挙げることの方が重要だとは思いませんか?
本記事が、実際に試行錯誤の方を得意とするゲーム作者やプログラマーの方の勇気づけになってくれればと願っております。